2025年9月13日土曜日

日常を楽しくするための圧

年末からニューヨークに行くことになりそう(※)だけど、来年もまるネコ堂芸術祭に出展することにした。 ※夫はやおが駐在することになり、それについていく。滞在は1年半くらいの予定。

ニューヨークから宇治までの交通費、大丈夫かなというところだ。飛行機に13時間とか乗るのも、あんまり気が進まない。設営も芸術祭当日も、搬出も行けるのか、行けないかもしれない。行くなら慧一郎(2歳)も連れていきたい。できれば行きたいけど、ちょっと今なんとも言えない。そんな状況で出展するか迷ったけど、とにかくやってみたいのは確かだから、応募することにした。

ちょっと別の話になるけど、今年の7月に喜多方に行ってきた。喜多方には2014年の冬から2016年の秋まで住んでいた。それで当時通っていたBAR CAVEの大束さんにも、9年ぶり会えた。その大束さんにニューヨーク行きのことを伝えたら、いいなあ、街を歩くだけで楽しいよ、楽しんできてねと。ニューヨークから帰ったらまた顔を出すことを約束した。

それで、大束さんと約束したから、変な言い方だが、私はニューヨークで楽しんでくることが仕事になった。そして楽しんできたことを、どうやって大束さんによく伝えたらいいだろうかなあと考えた。

自分が体験したことを、書いてみたらいいかなと思った。ブログじゃなくて、何か冊子か壁新聞か、あまり立派じゃなくていいから、手元で見られる物体。そういうわけで、大束さんに伝えるための通過点として、芸術祭にそういうのを出してみたい、です(弱気です)。でも芸術祭って圧があれば、何かしら抽出ができるんじゃないかと思っている。

2025年8月29日金曜日

週休4日というのはどんな気分か。

今日、金曜日会社を休んだ。

休んだというのは正確でないかもしれない。有休を取る旨は、事前に連絡していたから。そんで今週は火曜日も有休で休んだから、昨日家に帰ってから、やっぱり週に2日も有休取りすぎたかもしれん(会社の人にどう思われるだろうか)とか、やっぱり明日普通に会社行けばよかったかなとか、思いはしたものの・・・ 

今日、金曜日になって、やっぱり有休取ってよかったなと思っている。今朝、くたびれて朝寝坊して7時半に起きたので、その時点で思った。そんで、週休4日ってどんな気分か実験したかったから、それ叶ってうれしいなと思った。

週休4日、今の仕事内容(備品の管理)だとそれくらいがいいなと思う。そこは仕事内容にも寄る気がする。育休前は、校正の仕事をしててそれは毎日なんだかんだ楽しく、仕事を覚えたかったし、週5で会社に行くのは何も問題がなかった。思い出補正も多少ある気がするけど、そう思う。

育休復帰後は、空いているポジションがそれ(備品の管理)だったから、仕方ないと思いつつ、やっぱり気は乗らない。仕事という大義名分があるから、慧一郎を保育園に預けられて、仕事とはいえど一人の時間ができる!と5月の最初の頃こそ喜んだけど、続かなかった。

私は家で、仕事に行くことを「学校に行ってくる」と未だに言い間違えることがあるけど、学校つまらないんだと思う。今日は行かなくてよいということで、何かホッとしている。

2025年8月26日火曜日

私はお父さんのことが気になって仕方ない。お父さんも私のことが気になって仕方ない。

お盆にいわきの実家に帰った。

帰省予定の週に、どれだけ帰省が憂鬱かFBに書いたけど、帰ったらお父さんとお母さんがいて、なんかうれしかった。お父さんとお母さんが元気で、顔を見られてうれしかった。そのことを書いておきたくて、ブログを書く。

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今回は、私と慧一郎の二人だけで帰省した。スーパーひたちがつく勿来駅にはエレベーターがない。慧一郎抱っこしてキャリーケース持って階段登るのこれ大変だと思ってたら、スーパーひたち降りたら、なんとホームにお父さんとお母さんがいた。ビックリして、とてもうれしかった。荷物も持ってもらえてありがたかった。

お父さん、私が帰ってくるからと、茨城のメヒコにピラフを買いに行ってくれていた。こういうのは、買いに行ってやったんだぞ、みたいにお父さんは言わなくて、お母さんが「あんた帰ってくるからって、(お父さんは)メヒコのピラフ買いに行ったのよ」みたいに教えてくれる。なんか、ええ~。うれしい。思い出したら、けっこう私が帰省したとき、お父さんピラフ買ってくれてた。メヒコのかにピラフって、鹿島街道の水族館メヒコで、小さいころ家族で食事した思い出の味。

みんながいるリビングの隣の部屋で、私は本を読んでいた。ドアをあけっぱなしにして。暗いから電気つけろとお父さんの声が飛んでくる。別に暗くないから、私は電気つけない。わざわざリビングからお父さんが来る。蛍光灯の電気をポチリと押して、いい加減にしろよと言って出ていく。電気いらんけど・・・私のこと気になるのは分かった。いらんけど・・・。

今回もお父さんはお酒を飲み、愚痴っぽくなって、私にぐちぐち文句を言う。でもお父さんはお母さんに諭されてすぐ寝た。そのあと、いっぱいお母さんとおしゃべりした。あんなお父さんでも死んだら寂しいし、悲しいねと私は言った。お母さんはなんと言ったか覚えてないけど、私のこういう話をお母さんがただ聞いてくれてうれしかった。昔から、いっぱいお母さんともこういうおしゃべりしたかった。お母さんが仕事してた頃は、たぶん余裕がなかったのか叶わなかったけど、今回いっぱいいろんなことを二人でしゃべったのがうれしかった。内容は覚えてないけど、そんな時間があった、というのが胸が温かくなる感じ。じんわりくる。

翌朝、お父さんは文句を言ったことを、私に謝っていた。私は、そんなことがあったことも忘れていた、ことにビックリした。後生大事に握りしめて、お父さんに怒鳴られた、とか書いていたのに。お母さんに「お父さんなんなの」みたいに言えたのがよかったのかもしれない。私は、あっ、うん。くらいしかお父さんに言えなくて、っていうか忘れてたし。

お父さんは、洗い物しながら、友美も小さい時かわいかった、と言ってた。めっちゃ大変だったろうけど、そんな風に思ったときもあったのか。そうだったんだ。そうだったんだ。小さい慧一郎を見て、いろいろ思い出すことがあるんだろうなと思うと、慧一郎が来てくれてよかったなという感じもする。

私が慧一郎産んだこととか、仕事を二人とも定年したこととか、とにかく時間が経って、私はお父さんお母さんと、出会いなおしているかもしれない。出会いなおすっていうか、なんて言ったらいいか分からんけど、古くて新しい。また怒鳴られて、いやになって、FBに書くのかもしれないけど、そういうのも飽きるまで、お父さんお母さんとやっていく。

2025年8月17日日曜日

お気に入りのカーテンを手に入れる方法

ところで、今年のまるネコ堂芸術祭が終わった(GW前、とっくの昔にね!)。

作品として提出したカーテンは、今はうちに飾っている。窓を半分しか隠してくれないけど、これがとてもいい感じで。透け感とか、開け閉めの感じとかが、いとおしい。

思い出があることが大事だ、私には。日暮里の繊維街のトマトに布買いに行ったなあとか、店員さんが相談のってくれたなあ、とか、縫って縫ってまた縫いなおしたなあとか、針を指に刺したなあとか。まるネコで大谷さんが展示のアドバイスもくれたなあ、とか。そういうことが。

そんで、あと半分の足りない分のカーテンは、秋からニューヨークに行くことになりそうなので、もう縫わない。もし縫うとしたら、またお気に入りの布を買ってきて縫えたらとは思ったけど。違う布でもそれなりになる感じがする。気に入った布、とか自分の足で買いに行く、とかの方が大事だ。あとは、ニューヨークにも持って行って吊るせたらいいなと思う。

これからの人生、どういう風にカーテンと出会っていったらいいか、もう迷わなくて済みそう。自分にとってこうしたらお気に入りのカーテンと出会えるって、そんな道しるべができたことは大きい。


【関連過去記事】
(多分もっとあるけど、貼り付けが面倒なので2つで・・・タグとかつくりたい)
まるネコ堂芸術祭は、見るよりやるのがたのしい。

8/17 14:26 追記
まるネコ堂芸術祭のラベルをつくったので、そこを押したら過去記事も見られます。



2025年7月21日月曜日

なんとなく人に言ったことはなかった、子どものころの遊び

重力遊び

子どものころよくやった遊びに、家の壁に寝っ転がって足をつけて「これで急に重力がこっち側になっても大丈夫だ!」というのがある。でも電気が落ちて来たらどうしよう。本棚が倒れてくるな、とかいろんなことを考えて、そういうのをクリアした場所に足をつけて、これで大丈夫!とやるのだ。それだけの遊び。今まで誰にも話したことはない。


車の窓のしみ遊び

実家から40分くらいかかるばーちゃんちに行くとき、お母さんの車の中でよくやった遊びだ。まず、窓の黒いしみとかよごれとかを主人公にする。車が走ってると建物とか、海とか出てくるから、視点を移動させて、黒いしみだとかよごれとかに飛び越えさせるのだ。そのうちどうがんばってもクリアできない障害物が出てくる。そのあたりで終わる。


家に誰かが入ってくる。

震災で立て直す前の実家は、昔ながらの日本家屋で、ほぼ窓でできていた。その窓をバリンと割れば侵入し放題。そこで誰かが入ってきて、家族がひとりひとり殺されてしまったら・・・ということを夜ベッドの中でよく考えていた。自分はどう逃げるか。

まず私は、部屋の窓からパジャマで逃げる。納屋のトラクターの後ろに隠れるのはどうか?いや見つかって殺される。家のうしろの水が張った田んぼの中に潜んでいよう(なぜか季節は夏の設定)。明るくなったら見つかるからどこかに移動しなければいけない・・・ いつもその辺りまで考えて終わるのだった。これも何回考えたか分からない。


2025年7月17日木曜日

毎日会社に行ってて、これはよいなと思うこと。つらいこと。

■会社に行っててよいこと

毎日会社に行ってていいことはというと、お裾分けができる人がいることがありがたい。自分のところにある余剰なものを、もらってもらえる。今日はコリンキーのぬか漬けを、同僚と一緒にお昼で食べられたのがうれしかった。あの人ぬか漬け好きって言ってたな、喜んでくれるかなとか、考えて持っていくのはたのしい。病院の待合室とか(病院私は行かないけど想像で言ってる)、銭湯とかと機能が似ているかもしんない。いやそれ会社じゃなくてもいいよなあと思うけど、今のところそこは会社に依存している。お裾分けできる人もいるし、お金がもらえるということで会社に行っている。

■会社に行っててつらいこと

定時に行かないといけないことになっているのが、つらいな。たまには、会社の手前にあるパン屋さんで珈琲を飲んでから、とか、友だちのイベントがあるな、とか、ふらっと寄り道したいときがある。定時に行かなくても仕事的には大丈夫なことがほとんどなのに、行かなきゃいけないことになってるのはつらい。10時~15時のコアタイムにはいてください、くらいだったらまだ楽だなあと思う。

今の職場に飽きてきて、辛くなってきた。派遣先は大企業で、最初は目新しかったけど、もう大企業体験はお腹がいっぱいという感じだ育休前と併せるとここに3年半くらいいて、ひとところに長くいるのは私向いてないんじゃないかと思う。


2025年7月12日土曜日

ニューヨーク駐在を前にぐじゃぐじゃ言う。

はやおがニューヨーク駐在の話を芸術祭を前に持ってきたときは、何?!急すぎる、仕事辞めると言わなきゃいけないじゃないかと思ったけど(1年くらいは続けるつもりもあったし)ニューヨーク行きを蹴ってまで続けたい仕事でもなかったから、頑張って辞めると言ったのだった。

ニューヨーク駐在のことを人に言うと、驚かれたり、駐在経験者がまわりにいる人には「楽しみだね!」と言われたりするのだが、なんかそんな一息で「楽しみ!」って言うのもはばかられる気持ちがあるなと思った。

せっかく慧一郎を保育園入れて平日仕事とは言え一人になれる時間があってよかったのにな、とか、育休開けて仕事を始めたばかりだったのにまた辞めるって言ってごめんとか、そういうことも少し引きずっている。

なんか、金持ちとかエリートとか思われているような気もして、もうしゃあなしで行くのよ、みたいなポーズを取っておいた方がラクなような気もしている。金持ちとか普段気にしてないと思ってたのに、少し気になるのね。おかしい。(でも、思われたら困るのかと言ったら、別に困ることはないな)


そんなん全部置いといたら、めんどうだけど、楽しみなこともある。

ニューヨークでベーグル食べるの楽しみだ。ベーグルの本場なのかよく知らんけど、私はそう思ってる。映画とかでも食べてるシーンあるし。

みおちゃんが、真面目な店のハンバーガーはうまいって言ってた。私も食べてみたい。あとはファーマーズマーケット。ニューヨークってどんな野菜があるんだろう。日本の野菜とどうちがうのかね。

ニューヨークってどんな人がいて、どんな風にしゃべるんだろう。隣人の声を聞いてみたい。ぜんぜん分かんないかもだけど、なんかそれは楽しみで英語を学び直す動機になっている。プラダを着た悪魔を英語字幕で見るのは、なんか続かなかったので、Duolingoというアプリのゲームをやってみている。

パスポートを取り直すのに有楽町の交通会館に行くのも楽しみ。沖縄のアンテナショップで、生のシークワーサーがほしいな。

ニューヨークでの家探しは、真面目にやるけど面倒だな。今の賃貸を解約して行くから、日本に帰ってきたら家なし子だけど・・・とか考えると面倒である。

日常を楽しくするための圧

年末からニューヨークに行くことになりそう(※)だけど、来年もまるネコ堂芸術祭に出展することにした。 ※夫はやおが駐在することになり、それについていく。滞在は1年半くらいの予定。 ニューヨークから宇治までの交通費、大丈夫かなというところだ。飛行機に13時間とか乗るのも、あんまり気が...